風と鈴のわらわら日記

黒柴の双子、ふうとりんの日常を書いています。 ふうちゃんは2019年5月,14歳でお星さまになりました。 りんちゃんも2021年10月,17歳でお星さまになりました

ふうちゃんの腎不全

書き忘れ日記・完

日付は5月14日。今日でふうちゃん書き忘れ日記は最後です。

 お散歩にはまだいつも通り、りんと一緒に連れていってたんだけど、歩き方が明らかにおかしくなって、明らかに何かが変だと確信がもててきた時。病院では慢性の腎不全で元気が急になくなることは考えにくいからって、レントゲンをとったあげく「腰の痛みっ」て言われたけど、ふうちゃんの体を触っても、あちこちマッサージしても痛がる様子はなかったのでなんか違うって。やっぱり違ってた。この時点ですでに尿毒症が始まっていて下半身に神経症状が出始めていた時。「抱っこしてあげようか?」って抱こうとすると「それはちょっと」って逃げるもんで、結局びっこひいたような状態で歩いておうちまで帰ってきてました。なので結局旅立つ1週間前まではほぼ普通にりんとお散歩が出来ていました。
 散歩中、何度も立ち止まって、そして何か言いたそうにちょびママをじーっとみつめるふうちゃんの顔が今でも鮮明に思い出されます。分かってあげれなくてごめんね。


 最後の1週間はもちろんふうちゃんだけで。近くの公園まで一生懸命ヨタヨタと歩いていって、そこでオシッコしてそうするともう歩けなくなるので抱っこして帰ってきました。食欲は旅立つ5日前まで結構ありました。お水はその日までしっかりと自分で飲んでいました。

 思い出せば思い出すほど、ふうちゃんの生命力のすごさを感じずにはいられません。きっと毎日が楽しくて、ちょびママたちと過ごす日々がキラキラしていて、具合の悪さなんて感じないくらい毎日が幸せだったんだなーって。(もうこうなったら書きたいほーだい、言いたいほーだいなのだ)。

 腎不全が分かってから、フードを腎臓療法食に変えたぐらいで食事制限はまったくせず、おやつは変わらず食べ放題!食卓からはリクエストに応じて何でも落ちてくる!お出かけしたらアイスも一緒!、ちょびママがテレビ見ながら食べてるスナック菓子も少しはおこぼれもらえたし、お散歩行ったら毎度おやつは何でも食べ放題!。「どうせ死ぬならおいしいもの食べて死のうよね~」って。それで一年ピンピンで来たんだから、ホントによかったよね。目標のピンピンころりはほぼ達成できたかな

ふうちゃんの逝き際

 ふうちゃんが逝ってしまってあっという間に1週間。
 15年近く一緒にいたんだから、いなくなったらどうなるんだろう?大丈夫かな?って自分で思っていたのに、そんなに涙にくれることもなく、不思議と普通に過ごしています。先代ちょびが死んでしまった時は、何かの刺激に反応するように絶えず涙が溢れていたのに、なんか変な感じです。


 一年前に一度覚悟をさせてもらったこと。この一年が神様からの贈り物だったこと。寿命は全うさせてはあげられなかったけど、十分に生きることができたと思えたこと。最後、ふうちゃんの嫌がることはぜんぜ~んしなかったこと。楽しい思い出がいっぱいでふうちゃんの一生は最高だった!って思えたこと。そんなに苦しまずに天国へ旅立てたこと。おうちでちゃんと看取ってあげれたこと。etc・・・。きっと自分の中で悔いなく送り出してあげれたからかなぁ~って勝手に思ってます。

 逝き際だって見事です。ふうちゃんが旅立ったのはちょびママの仕事が休みの日だったし、目が離せなくなったのは丸一日くらいだったので、生活が制限されることもありませんでした。しかも木曜日だったので、2日間ゆっくりおうちで最後を過ごした後、日曜日にみんなで見送れるという最高のスケジュール。

 発作が始まった時、目が離せなかったし、最期の時は一緒に過ごしたいと思って、翌金曜日は仕事の休みをとっていました(やむを得ず母を病気にして・・さすがにワンコが死にそうなので休みますとはいえず・・)。。でも結局あっという間に逝ってしまったので、金曜日は「母の容態は安定しましたので・・」と出勤。そんなところまでお手間を掛けさせなかったふうちゃんです。

 おうちで粗相だって結局おしっことが2回ずつくらい。あとは前日までお庭でちゃーんと立っておしっこできたし、お水も旅立つ朝まで自分で飲むことができました。慌てて買いに行った大量のトイレシートと赤ちゃんのおしりふきだけが今どど~んと残っています。

 でもな~んかまだ実感ないし、寂しいけどね、ふうちゃん。今はいただいたたくさんのお花に朝、お水をあげている時が、ふうちゃんとつながれるひと時のような気がしています。


 

 

 

いってらっしゃい♪

 ふうちゃんが虹の橋を渡ってから、ちょびママは毎日ふうちゃんと一緒にリビングで寝ました。そうすると、必然的にりんちゃんのそばで寝ることになるのですが、毎日「グォォォォ~、ガォォォォ~」と枕元でりんちゃんのいびき。朝、目が覚めてもりんちゃんは「グォォォ~」と幸せそうに眠っていました。最後の日はちび太君も「一緒に寝る~」と言うのでソファで寝ていましたが、早々に落下し、ふうちゃんの足元で寝ていました


 5月26日。ふうちゃんとお別れの日。朝からちび太君の涙が止まりませんでした。


 りんちゃんはぼ~っとふうちゃんを眺めていました。


 そのうち寝てました


 りんちゃんのご心配をたくさんいただきましたが、りんちゃんは分かっているのかいないのか、正直よくわかりません。ただふうちゃんがいつも寝ていた玄関の横にあるトイレの前でぼーぜんと立ち尽くしていることが何度かあって、「見えてるのかな?」なんて話してました。双子ちゃんには特別なつながりがあるっていうしね


 午後、ペットちゃん霊園に到着。昨日はでっかいどーも真夏日の暑い暑い一日でした。ふうちゃんは霊園を探す時間もちゃんとくれていたので、気に入った所を選べました。


 きれいな斎場で、とても心のこもった対応をしていだき、送り出してあげることができました。


 ふうちゃんがお骨になるまでの待ち時間、りんちゃんはそのうち眠ってしまいました。りんちゃんは葬儀場でとってもおりこうで、粗相することもなく(ちょっと心配でした)、じっと一緒に参列してくれました。

 ふうちゃんとの残された時間が少ない、と分かった時、毎日毎日涙が止まりませんでした。犬の前で泣いてはダメって言われていてもそんなの無理。ふうちゃんを撫でながら、ふうちゃんの目の前で、小さなため池ができるくらいボタボタ。でもふうちゃんを看取った後は、不思議とさわやかな気持ちで、ほとんど泣かずに過ごしていましたが、やっぱり最後身体がなくなってしまうと思うと寂しさがこみあげてきました。


 そして葬儀場に入った時からもう涙が止まらないちび太君。ちょびママの10倍くらい泣いていました。あちこちに鼻セレブが置いてあったので、いっぱい使って泣きました。昨夜も寝言で「ふうちゃん、さみしいね」っていきなり大きな声で言うので目が覚めたちょびママ。「家族が減って寂しい」とずっというとります。


 短い期間でしたが、全部終わるとなんだか力が抜けてしまいました。


 ふうちゃん、いってらっしゃい。またいつか会おうね。15年間本当にありがとう!




お花畑で

 紙のお花に囲まれていたふうちゃんですが、天国へ旅立った翌日から、たくさんのお花をいただきました。


  ちょびママの人生でこんなにお花をいただいたことは初めてで、嬉しくて嬉しくて(いただいたのはふーちゃんにですが)、一つずつふうちゃんのまわりに並べてあげると、だんだんお花畑の中にいるようになって、祭壇ぽくなってきました

 「青は一等賞の色だからふうちゃんにぴったり」「元気が出るひまわりを」をって、お花それぞれに思いを込めていただいて、ふうちゃんは今幸せオーラに包まれています。やっぱり紙のお花はそのままなんですが。ついでに司会のリボンもつけてあげました。


 明日26日午後からふうちゃんとお別れのセレモニーです。身体がなくなっちゃったら寂しくなるんだろうなぁ。

ふうちゃん最後の日

 ふうちゃんにたくさんのお悔やみをいただき、ありがとうございます。読んでいて、私がすっかり忘れていた昔のことなんかをちゃんと覚えていてくれてたり、思い出してくれたり、寂しいけどなんかほっこりしちゃいます。

 ふうちゃんのことはブログで記録し続けたので、今日は最後の日のこと。


 木曜日の深夜12時半くらいに最初の発作。たまたまリビングでぼ~っとテレビを見ていたのですぐに気づけました。寝室で寝ていたら気づけなかった、と思うと怖かったです。どれくらいだったかな、1、2分くらいでおさまって、座薬入れてあげたら落ち着いて眠ってくれて、翌午前9時くらいに2回目の発作。痙攣中は噛まれる可能性があるから、触ってはいけないって言われたけど、ぜんぜ~ん触れちゃうし、噛まれそうな気配もないし、触りたいからいっぱい触ってあげてました。座薬2本目を使って落ち着いて眠った頃、自分の気持ちを整理するためにも下のブログをお昼過ぎに書きました。

 午後2時半、ちび太君が学校から帰宅。数日前から歯が痛いというので歯医者の予約がありました。本人はもう治ったからいいよっていうし、なんとなく座薬の効き目がきれそうな時間帯で気になったけど、近所だし、30分くらいだから待っててねっ!てふうちゃんに言って、帰ってきてドアをそっ~っと開けるとふうちゃんが小さく揺れてました。3回目の発作でした。まだ揺れが小さかったので始まったばかりだったか、少し前から起こっていたのか、それは知る由もないけど、最後の発作は40分ほど続く長い痙攣でした。一生懸命揺れていて、ちょびママはふうちゃんに「最近運動不足だったから、いい運動だよね~」。「明日ちょっと筋肉痛になるかもだけど、運動!運動!」って声をかけてました。痙攣がだんだん収まり、表情も緩んできて、最後に手足を大きくのび~ってした時、あっ、これでさよならかもって思えて、急いで声を掛けると、ふうちゃんはゆっくりと息を引き取りました。その表情はとても穏やかで、いつものイケメンふーちゃんのままでした。

 結局先生の予言通り、3本目の座薬は使うことなく終わってしまいましたが、長く苦しむことなく逝けてよかったんだと思っています。

 さて、ふーちゃんをちゃんとしてあげないと!と思って体をふきふきしたあと、リビングへベッドを移しました。で、こういう時ってどうするんだ?って思って、お花を飾ってあげればいいかな?写真とかたてるのかな?ふうちゃんの過去の栄光を飾ってあげればいいのかな?。。フリースかけてあげて、とりあえずふうちゃんが毎日解体を楽しんでいた右手のないぬいぐるみさんとかを置いてみた。


 でもなんか寂しいしなぁって思っていたら、いいもの発見!。ふうちゃんが司会をしてくれたちび太君のお誕生会の時、パパさんが百均で紙の花をたくさん買って作ってくれたのがあちこちに飾られたままでした。なんとなく冗談で並べてみたら意外とにぎやかになってよかったので採用!。昨日は紙のお花さんとパパさんが仕事帰りに買ってきてくれたお花と一緒に眠ったふーちゃん。


 朝、りんちゃんが一生懸命にお花の匂いを嗅いでいました。


 そのあとちび太君が「りんちゃんがふうちゃんと同じように寝てるよ」というので見ると、ホント!ふうちゃんと同じでした(笑)。どっちが生きているのか?写真だけでみるとわからないかも~。こんな感じなのでふーちゃんがいなくなった実感がまだあまり沸かないちょびママです。


 ふうちゃんは涙やけもないし、年を重ねても顔の形が崩れることなく本当にお顔がきれいでかわいいんです。毛艶もよく、まるで上質な剥製のようです。


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